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加藤晟(あきら)復活か?②

当然、各方面から相当の恨みも買い暴力団に事務所を荒らされたりした。また人望のある仕手筋としての顔を持つ反面、裏社会を後ろ盾としたと言われており、テレビの特集のインタビューで「明日の朝には、私の首がその辺に転がっているかも知れない」とも述べるなど、政財界・裏社会などとの繋がりを匂わせている「裏の社会は暴力団、表の世界は政治家と付き合わなければダメ。兜町で生きていくには力が必要なんだ」と話していたという。またこの頃、故郷能美島に加藤家の墓を建てるため帰郷した折には、防弾仕様の車で、屈強なボディガード付きだったという。

その後、官民共同の加藤包囲網により1981年2月、東京地検特捜部に逮捕され所得税法違反という罪名で実刑判決を下されたが、もちろん東京地検の真の目的は、顧客名と黒幕を吐かす事であった。厳しい取調べで吐くだろう…との予想だったが、加藤は断固して顧客名を明かさなかった。


この事からさらに男を上げ、出所後も業界に復帰する事となった。加藤の顧客は、大物政治家・大物経済人・著名スポーツ選手・著名芸能人がズラリいたとされ、加藤が口を開けばみな失脚したであろう、と言われた。


2年半小菅東京拘置所に収監されたが1983年8月保釈。1988年東京地裁で判決が下り、起訴事実の主要部分が退けられ、加藤側の「実質無罪」となった。判決の日には多くの加藤ファンが傍聴席に詰め掛けたといわれる。


この後再び兜町に復帰。1989年稲川会会長・石井進と組んで、「バブル期最後の戦い」といわれた、本州製紙(現・王子製紙)の仕手戦を仕掛けた。しかし、石井の病死などで加藤を支える人脈が崩壊、1990年にはバブルも崩壊し、株の熱気も一気に冷めた。さらに、証券大手と総会屋の癒着や証券大手と大蔵省との癒着問題が表面化し、関係者が次々逮捕・辞任し、一層株式市場は冷え込んだ。


その後は影を潜め、一時は「加藤は死亡したのでは」との噂も流れたが、1995年に「新しい風の会」を設立し、大仕手株として有名な兼松日産農林を手掛ける。95年3月の安値 389円だった株が、空売りをしっかり引き込み個人や証券会社を巻き込んで、翌1996年7月31日には、5,310円まで値上がりし実に13倍以上にもなった。その後99年には、井筒屋(98年12月安値208円→99年7月高値1,380円)等を手掛けた。 2003年には、株式研究の会「泰山」を立ち上げて、証券界に本格復帰した。泰山とは道教の総本山がある中国の山の名。


一般に、加藤の仕手グループはネット掲示板などでは「k筋」と呼ばれている。加藤が手がけようとしている銘柄は「加藤銘柄」「泰山銘柄」「マルk」などと呼ばれる。

 明日は、どの銘柄を手掛けているか紹介します。


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